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なにしろ赤い箱がいいし、板が黄色なのもいい。そこには小さな男の子がハンマーを振りおろす絵がついていて、「Brio」の赤い字が効いている。ペグもすべて黄色で、板を支える脚はブルーだ。ハンマーは赤と緑のツートン。体じゅうに喜びがみちあふれた。「ハンマー&ペグ」こそ自分を満たしてくれるおもちゃだということを、いまになってあらためて思い出した。
板にあいている穴すべてにペグを打ち終えると、ある種の達成感が胸にわき上がってくるのだ。ものがあるべき場所に収まった気がする。あるべき意味が存在する。それを裏がえして、今度は突き出ているペグの先を板の表へ打ちかえす。そのようにして、達成感というものを永久に実感することができるのだ。
これがあればぼくは、ほかに何もいらない。人もモノも必要ではない。
これを納得のいくまで続けていれば、世界にも自分にも必要があるという実感がやがておとずれる。どうせぼくにはいま、失うものは何もない。これを買って自転車で帰ろう。そして今日という日が、「ハンマー&ペグ」を開始した初日として記録されるのだ。
そもそも豚は人の餘り物を食ふ立ち場にゐる筈なのに、今はかうしてその初穂を私のお膳に割愛してくれた、と考へた。更に溯れば、おからは人間が食ふ豆腐のかすの餘り物かも知れないが、豚は豆腐とおからとどつちを選ぶだらう。私が豚だつたら、おからの方をいただく。さうだらう、豚諸君、おからの方がうまいね。
幽霊のやうに
まじめに永久に
人を咀ふ事が出来たらばと思ふ
「つまりお前達二人はスイートポテトーであったのじゃナ」
硝子戸の外の闇の中で二三人クスクスと笑った。
すると、うつむいていた若い男が、濡れた髪毛を右手でパッとうしろへはね返しながら、キッと顔をあげて巡査を仰いだ。異常に興奮したらしく、白い唇をわななかしてキッパリと云った。
「……違います……スイートハートです……」
「フフ――ウム」
と巡査は冷ややかに笑いながらヒゲをひねった。
「フ――ム。ハートとポテトーとはどう違うかナ」
「ハートは心臓で、ポテトーは芋です」
と若い男はタタキつけるように云ったが、硝子戸の外でゲラゲラ笑い出した顔をチラリと見まわすと、またグッタリとうなだれた。
巡査はいよいよ上機嫌らしくヒゲを撫でまわした。
「フフフフフ。そうかな。しかしドッチにしても似たようなもんじゃないかナ」
若い男は怪訝な顔をあげた。硝子戸の外の笑い声も同時に止んだ。巡査は得意らしく反身になった。
「ドッチもいらざるところで芽を吹いたり、くっつき合うて腐れ合うたりするではないか……アーン」
しかし、よく考えてみれば、諸君、二二が四というのは、もう生ではなくて、死の始まりではないだろうか、少なくとも人間は、なぜかいつも二二が四を恐れてきたし、ぼくなどはいまでもそれがこわい。なるほど、人間は、この二二が四を見いだそうためにこそ、太平洋を横切り、その探求のために生命を犠牲にしているかもしれない。しかし、本当に捜しあてること、発見することは、断言するが、何かこわがっている様子だ。いったん発見してしまったら、もうそのときは何も捜すものがないことを、直感で悟っているのかもしれない。労務者なら、一仕事終えれば、少なくとも金がもらえて、居酒屋へ出かけていき、そのあとで警察のご厄介になる。これで、まあ、一週間はつぶせるわけだ、だが、人間はどこへ行けばよい?少なくとも、そうした目的が達せられるたびに、人間はどこか気づまりなところを見せるようだ。人間は到達を好むくせに、完全に行きついてしまうのは苦手なのだ。もちろん、これは、おそろしく滑稽なことには相違ないが。要するに、人間は喜劇的にできているもので、このいっさいが、とりもなおさず、語呂合せの洒落みたいなものなのだ。しかし、それにしても、二二が四というのは鼻もちならない代物である。二二が四などというのは、ぼくに言わせれば、破廉恥以外の何物でもない。二二が四などというやつが、おつに気どって、両手を腰に、諸君の行く手に立ちふさがって、ぺっぺと唾を吐いている図だ。二二が四がすばらしいものだということには、ぼくにも異論がない。しかし、ほめるついでに言っておけば、二二が五だって、ときには、なかなか愛すべきものではないのだろうか。
ぼくが言ったのは、人間が復讐をするのは、そこに正義を見いだすからだ、ということである。つまり、彼は本源的原因を、基礎を見いだした、すなわち、正義を見いだしたのだから、当然、あらゆる点について安心できるわけであり、したがって、自分は名誉ある正義の事業を遂行しているのだという確信をいだいて、心やすらかに首尾よく復讐をなしとげることができるのである。ところがぼくの場合は、そこに何の正義も、何の徳行も見ようとしないから、復讐をするとしても、たんにそれは憎悪からにすぎないということになる。もちろん、この憎悪そのものは、ぼくの疑惑を全部集めてもかなわぬぐらい強いものでもありうるし、それが原因ではないからこそかえって本源的原因の代用を非の打ちどころなくつとめられるかもしれない。ところが、どうしようにも、じつはぼくにはその憎悪からしてないのである。(そういえばぼくはさっき、ここから話をはじめたのだった)。ぼくのいきどおりは、またしても例の呪わしい意識の法則の作用で、化学分解を起こしてしまう。みるみる、対象はちりぢりに飛び去り、理由は蒸発し、犯人は見失われ、侮辱ももう侮辱ではなく、宿命のようなものに、つまり、だれを責めるわけにもいかない歯痛のようなものになってしまうのだ。こうして、またしても例の解決策一つしか残らないことになる。つまり、壁をこっぴどくなぐりつけるしか手がないということである。
ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかった――意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。かくしていま、ぼくは自分の片隅にひきこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺激をみいだしている、――賢い人間が本気で何者かになることなどできはしない、何かになれるのはばかだけだ、などと。さよう、十九世紀の賢い人間は、どちらかといえば無性格な存在であるべきで、同義的にもその義務を負っているし、一方、性格をもった人間、つまり活動家は、どちらかといえば愚鈍な存在であるべきなのだ。これは四十年来のぼくの持論である。ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これはもう人間の全生涯だ。老齢もいいところだ。四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ!だれが四十歳以上まで生きているか、一つ正直に、嘘いつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、ばかと、ならず者だけである。ぼくは世のすべての老人たちに、面と向ってこう言ってやれる。尊敬すべきご老人方、銀髪をいただき、ふくよかな香りをただよわしているご老人方を前に置いて言ってやれる!全世界に向って言ってやれる!ぼくにはこう言うだけの権利がある。なぜなら、ぼく自身、六十までも生きのびるだろうからだ。七十までも生きのびるからだ。そうとも、八十までだって、生きぬいてやる!……いや、ちょっと待ってくれ!ひと息つかせてくれたまえ……
忘れられた話がもうひとつある。まったくありえない確率で、マッコウクジラがこの異星の地表数キロ上空にいきなり出現してしまったということだ。
これはこの生物が自然に生息できる場所ではもちろんない。というわけで無邪気なクジラはあわれにも、クジラとしての自我と折り合いをつけるひまもないうちに、もうクジラではなくなったという事態と折り合いをつけなくてはならなかった。
生をうけてから死ぬまでの短い時間に、クジラの頭に浮かんだ思考を忠実に再現するとこうなる。
あれ……なんだ、どうなってるんだ?
えーと、すいません、わたしはだれですか?
だれかいませんか?
わたしはなぜここにいるのか?わたしの生きる目的はなんなのか?
わたしはだれってどういう意味だろう?
落ち着け、気を鎮めろ……わっ、なんだか変な感じだぞ、なんだこれ?なんていうか……穴があいてるみたいな、うずうずする感じがこの……この……まずモノに名前をつけることから始めないと、とりあえず話と呼ぶことにしたものが、ぜんぜんこの、前と呼ぶことにした方向に進まないぞ。だからこれは腹と呼ぶことにしよう。
これでよしと。うわあ、変な感じがどんどん強くなってくるぞ。それにこれはどうだ、いまいきなり頭と呼ぶことにしたもののまわりでひゅうひゅうごうごう鳴ってるものは?そうだな、これは……そうだ、風と呼ぶことにしよう!この名前どうかな?まあとりあえずいいか……たぶんあとで、これがどういうものかわかったら、もっといい名前を思いつくかもしれない。きっとすごく大事なものにちがいないぞ、だってまわりじゅうそれだらけみたいだもんな。おい、これはなんだ?この……これはしっぽと呼ぶことにしよう――そうだ、しっぽだ。あれ、このしっぽってやつはずいぶんよく動くじゃないか。いいぞ!いいぞ!すごくいい気分だ!どうもあんまり役に立ってないみたいだけど、なんに使うのかきっとそのうちわかるだろう。さてと――だいぶ首尾一貫して世界像を構築できたんじゃないかな?
まだまだ。
まあいいや、だってすごくわくわくするもんな。新しい発見が山ほどあって、これからいろんなことが起きるだろうし、あんまり楽しみで頭がくらくらする……
それとも風のせいかな?
それにしても、風がすごく増えてきてないかな?
それからあれ!すごい!あれはなんだろう、こっちにすごい勢いで近づいてくるけど。すごくすごく速い。ものすごく大きくて平らで丸いから、大きくて広そうな名前をつけなくちゃ……そうだな……だ……だい……だいち、大地だ!それだ!すごくいい名前だ――大地!
仲良くなれるといいんだけどな。そこまでだった。ぐしゃっという大音響を残し、あとはただ沈黙。
不思議なことに、ペチュニアの鉢植えが落ちていくとき、その心に浮かんだ思いはこれだけだった――まいったな、またか。
これは重要でよく知られた事実ではあるが、物事はつねに見かけどおりとはかぎらない。たとえば惑星・地球では、人類はずっと自分たちのほうがイルカより賢いと思い込んでいた。なぜなら人類は多くの偉業をなし遂げ、車輪を発明したりニューヨークを築いたり戦争をしたりしていたのに、イルカは水のなかでむだに時間をつぶし、ただ遊びほうけているばかりだったからだ。しかしイルカはイルカで、自分たちのほうが人間よりずっと賢いと思っていた――その理由はまったく同じである。
興味深いことに、イルカたちは惑星・地球の最期が迫っていることに早くから気付いていて、人類に危険を知らせようと数々の努力をした。しかし、いくら努力をしても、おいしいおやつ欲しさにサッカーボールを突ついたり笛を吹いたりして愉快な曲芸をしているというふうに誤解されたので、イルカたちはしまいにあきらめて、ヴォゴン人がやって来る直前に独自の手段で地球をあとにした。
イルカが最後の最後に残したメッセージは、米国国歌を笛で吹きながら後方二回転宙返りをして輪をくぐるというあっと驚く高度な曲芸と誤解されたが、ほんとうはこういう意味だった――さようなら、いままで魚をありがとう。
さて、このように気が遠くなるほどお役立ちなものが、まったくの偶然から進化してきたというのは奇怪なまでにありえないことである。したがって、これを神の不在の最終的にして揺るぎない証拠と見なす一派も存在する。
その理屈はこうだ――神は言う。『私は自己の存在を証明するつもりはない。なぜなら証拠は信仰を否定し、信仰がなければわたしは無だからである。』
人間はこう反論する。『でも、バベル魚は完全に動かぬ証拠でしょ。ただの偶然でこんな魚が進化してくるはずないじゃん。これはつまりあなたが存在する証拠だから、したがってあなた自身の主張により、あなたは存在しないことになる。証明終わり』
『まいったな』と神は言う。『そこまで考えてなかったよ』そしてただちに論理の煙となって消えてしまった。
『なんだ、こんな簡単なことだったのか』と人間は言い、今度はためしに黒を白と証明しようとして、次の横断歩道で車にはねられて死んでしまった。
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